
こんにちは!黒マメです!
記事を読んでいただきありがとうございます。
「親って、本当に自分のことを見てくれているんだろうか?」
そんな疑問を、私はずっと心の片隅に抱えていました。
もしかしたら、あなたにも似たような思い出があるかもしれません。
めちゃくちゃ注目してほしいわけじゃない。
でも、自分の話を聞いてもらえなかったり、変化に気づいてもらえなかったりすると、
「自分なんてどうでもいいのかな」と不安になりますよね。
変化に気づいてもらえない寂しさ
相手のことを観察していれば
なにかしらの変化を感じ取ることがありますよね。
- 楽しそう
- しんどそう
- 容姿の変化
こういうものって、
特別に意識をしなくても気がつきます。
過ごす時間が長い・距離が近い関係ならなおさら。
ただ、私の家族は違いました。
体調が悪いと伝えてもたいして取り合ってもらえず、
相談したいことがあっても親身に聞いてもらえませんでした。
それどころか、
なぜか「私にすべて原因がある」とまとめられてしまうことがほとんどで、
「あ、私のことは全然見てもらえていないんだな」という感覚だけが
積み重なっていきました。
私がうつ病になったときだって、特になにも気にしていない様子でした(この部分はまたいつか別の記事でお話する予定です)。
少しデリケートな話になりますが、
思春期のころ、同級生たちと体の話や下着の話をする機会が増えました。
友達がちゃんとした下着(≒ブラジャー)を着ける子が増えてきて、
私はおそるおそる「そろそろ私もほしいな」と母に申し出ました。
その言葉を言うだけでも、当時の私には勇気が必要でした。
……だからこそ、返ってきた「まだ要らないでしょwww」という笑い混じりの一言に、胸の奥がキュッとなりました。
実際には、まだ必要なかったのかもしれません。
それでも、私が感じていた変化や不安に、一緒に向き合ってほしかった。
その瞬間、恥ずかしさよりも“悲しさ”のほうが強かったのを覚えています。
それ以来、そういう話は二度としなくなりました。
興味を示してもらえないのに、行動を制限される苦しさ
こんな感じでかなり私に無関心なように見える親ですが、
口を出すところはしっかり出してきます。
これは「否定編」でも少しお話ししましたが、
基本的に私の意思でやりたいこと・好きなものに対しては
“NO”と言われることがほとんどでした。
助けてほしいときはスルーするのに、
放っておいてほしいときはズカズカ踏み込んでくる。
無関心とコントロールが混在していて
心の中も境界線がぐちゃぐちゃになっていきました。
そんな状況が続けば
「自分」ってなんなんだろう。
ぼんやりそう考えてしまうのは自然なことではないでしょうか。
無関心は「存在の否定」にもつながる
無関心な態度を取られ続けると
- 私のこと・気持ちはどうでもいいんだなと感じる
- 生きていても意味がないのかなという感覚に陥る
- その傷は大人になっても残る
- 自分まで自分自身に無関心になる
このような気持ちになります。
メリットはひとつもないですよね。
周りから雑に扱われることが当たり前になると、
自分でも自分の体や心を大切にできなくなります。
あなたは、
自分自身に「無関心」になっていませんか?
もしかしたら、それは長い間、誰にも気づかれなかった寂しさのせいかもしれません。
- どうせ自分なんて…
- 自分の気持ちがわからない
こんな気持ちになっていませんか?
おわりに

私のように
大人になってからもトラウマを抱えているあなたへ。
無関心にさらされて、心が疲れてしまったあなたへ。
無関心ってある意味無視よりツラいですよね。
たとえ親や周りがあなたに無関心な態度をとっても
あなたが自分を見てあげられたら、それだけで十分です。
自分の心と体の声に、ちょっとだけ耳を傾けてみてください。
小さなことでも「これが好き」「これは嫌だな」と気づくことが、
あなたを守る第一歩になります。
自分が大切にしているもの、気持ちを大事にして
自分自身が認めてあげましょう🌱
私もまだまだ練習中ですが、
自分の味方でいられる自分でありたいなと思っています(*´꒳`*)ʜᵅᵖᵖᵞ🌸
今日もあなたが、あなたらしく過ごせますように。
同じような悩みを抱えるあなたへオススメの1冊
次は「不機嫌編」についてお話しする予定です。
親の機嫌にビクビクおびえて生活していませんか?
少しでもあなたの心が軽くなればうれしいです☕
最後までお読みいただきありがとうございました!
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