
こんにちは!黒マメです!
記事を読んでいただきありがとうございます。
あなたは親に「自分の好き」を否定された経験はありませんか?
私はその積み重ねで、自分の気持ちを表に出せなくなってしまいました。
一番身近な大人「親」に否定され続けるということのツラさ
子どものころ。
私が好きなことを話しても、
親はほとんど興味を示してくれませんでした。
- 「そんなことやっても無駄」
- 「そんなことより~〇〇しなさい」
そう言われるたびに、
心が冷たくなっていったことを覚えています。
好きなことをしているはずなのに
なんだかうしろめたさを感じることもありました。
振り返ると、
それは「無関心」と「否定」が混ざった体験でした。
自分を見てもらえないことも、
見てもらえたうえで切り捨てられることも、
結局は「ありのままの自分を認めてもらえない」という同じ痛みでした。
これは大人になっても続いていて
子供のころの記憶と現状の中でトラウマを生み続けています。
(こうして文章化できるようになっただけまだいいかな…?)
「自分の気持ちなんて大事にされないんだな」
と感じる場面は日常の中で多々ありましたが、
そのなかでもしんどかったのは
「好きなこと・好きなものの否定」です。
「否定」が残した心の傷
子どもの頃の私は、
どちらかというと男の子っぽかったです。
ピンク色やフリル、カワイイ系は苦手で
女の子と遊ぶことはほとんどありません。
カードやコロコロコミック、
それで紹介されるようなおもちゃや漫画が好きでした。
ただ、
私が『そういうのが好き』と言おうものなら
「もっと違うのにしなさい」と一蹴。
まったく理解はしてもらえませんでした。
もう少し大きくなって、学生のころ。
好きな歌手がいました。
音楽は自分の耳だけに届く癒しでした。
ふとそれが親の耳に入ったとき
「こんな歌のどこがいいのかわからない」
「好みじゃないから流さないで」
と言われたりもしました。
本来の私は
「あんなこといいな!できたらいいな!」タイプ。
わりと活動的な人間でした。
ただ、
自分のやりたいこと・好きなものを否定され続けるうちに
『自分の気持ちや好みは表に出しちゃいけないものなんだな』
と自分を抑え込むようになり、
それは大人になったいまも続いています。
思えば、
『それでも私はこれが好き!』
と貫ける強さがあればよかったのですが、
親に嫌われることをおそれて
自分の本当の気持ちは言えませんでした。
もしかしたら、
いまこれを読んでいるあなたも
「好き」を否定され続けるうちに表に出せなくなっていませんか?
自分の「好き!」を大事にしていいんだよ
「無関心」と「否定」
このふたつは一見それぞれが独立しているように思えますが、
- 私の「好き!」=親は興味がない(無関心)
- 親の興味がある=私の「好き!」は雑に扱われる(否定)
という同じ根っこからくるものでした。
あなたは、
子どものころに「好き」を素直に話せましたか?
- 話せなかった…
- わかってもらえなかった…
同じような思いを抱えてきた人は
きっと少なくないはずです。
親という一番身近な大人に否定されるのは
とてもツラい経験です。
子どもにとって親は味方であってほしい存在ですよね。
おわりに

私のように
大人になってからもトラウマを抱えているあなたへ。
たとえ過去に否定されてきたとしても
いまの自分の「好き」は大切にしていいと思います。
理解されないしんどさと隣り合わせでも
自分の心を守っていけますように(*´꒳`*)ʜᵅᵖᵖᵞ🌸
今日もあなたが、あなたらしく過ごせますように。
同じような悩みを抱えるあなたへオススメの1冊
ずっと自分を責めていた私が、
「あれ?もっと自分のこと大事にしていいんじゃない?」と気づけた本です。
気になる方はぜひ読んでみてください📗
次は「無関心編」についてお話しする予定です。
今回の「否定編」とはまた違う、
思わずうなずいてしまうようなエピソードかもしれません。
少しでもあなたの心が軽くなればうれしいです☕
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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